2016年2月12日金曜日

犬にワインを飲ませたら 「ワイ~ン」と鳴いた (3)

ワインを飲む楽しみとは? 


1.健康のため? 2.ファッション? 3.見聞を広める? 4.コミュニケーションツール?


事情は人それぞれであり、どれも正解です。そして皆、徐々にそれぞれ変化が生じてくるものです。


 ・ 年齢と共に変化(経験)  ・ 季節による変化  ・ 趣味趣向(精神状態)  ・ 健康状態


そんな中で、自ずと好みのワイン(贔屓の産地)を自覚してくるのではないでしょうか。

もはやその様なレベルに達してくると、ワインを飲む時は常に心のどこかでそのワインを追い求め、無意識に欲しているようになってきます。そして偶然にもそのワイン(似ているワイン)に出会ったりすると、得もいわれぬ快感に包まれ、ある種のエクスタシーにも似た感覚を覚えるのです。

これを私足立は、「ワインのカタルシス」と呼んでいます。

 そもそもカタルシス(katharsis)とは、古代ギリシアでは浄化・排泄を意味します。

これは医学的には瀉血(しゃけつ)の意味。またアリストテレスの哲学の中では、心の中にある「しこり」を外的な要因により自発的な感情の発散によるそれの浄化と理解され、俗的には罪からの魂の浄(きよ)めとされてきました。

 わかりやすいかどうかはわかりませんが、現代的な解釈は辞書によると、俗に音楽や文学、演劇などの連続性のある芸術作品において、あるポイントを境にそれまで準備され蓄積されてきた伏線や地道な表現が一気に快い感覚に昇華しだす状態や、またその快い感覚のことを正式用法の「抑圧からの解放」になぞらえてカタルシスと表現するとのことです。
  大分難しく解釈されているようですが、一般的な「カタルシス」の解釈とは「思い出の定番のポイント」だといえます。

「心の中にあるわだかまりが何かのきっかけで一気に解消すること」が普遍的な解釈であり、私なりの解釈で恐縮ですが、映画「男はつらいよ」のなかに出てくる寅さんが、序盤のいざこざの後に実家である葛飾柴又の「とらや」に帰ってくる。そこでおいちゃん・おばちゃん・さくら・ひろしと再開をしてまた新たなる物語に昇華してゆく…といったいわゆる「お約束」的な「思い出の定番のポイント」。これだと私は解釈をしています。



ワインのカタルシス

 それぞれ人によりポイントが違いますが、自身が過去において飲んだワインを含め、人生のそれらに関連する経験を弁証法のように積み上げていった結果、自身が得た好みの感覚(色・香り・味わい)を元にしたワインへの感情の発散(浄化)が「ワインのカタルシス」といえます。簡単に説明すれば、マイフェイバリット(お気に入り)・ワインへの確認、定番のあの香り・あの味。そう、まさに「思い出の定番のポイント」=「ワインのカタルシス」といったところでしょうか…。

 例えば、品種(セパージュ)やスタイルの個性(単一品種のワインやブレンドワイン)により得られるカタルシスがあると思います。

ブルゴーニュ(ピノ・ノワール100%)やピエモンテ(ネッビオーロ100%)などの単一品種、ボルドーのようなブレンドワイン(カベルネ、メルローなど)。または、いわゆるアメリカナイズされた現代的なワイン等。それぞれが分かりやすいワインのカタルシスを持っています。

過去の自分が飲んだお気に入りの香り・味。それらを確認できた時…。

ワインのカタルシスを感じたといえるのではないでしょうか。



ネッビオーロのカタルシス

 この世にある数千のブドウ品種を比較テイスティングしたとして、もっとも低く評価されるのは間違いなくネッビオーロだと思います。

ちなみに、ネッビオーロとはイタリアのピエモンテ州原産の土着品種(アウトクトノ)であり、バローロやバルバレスコの主要品種であります。

ではなぜ評価が低いのか ?

答えは簡単、「飲みにくい」からなのであります。

 ・色にばらつきがあり、薄かったり変に濃かったり…。

 ・香りが重くアロマティックでありフルーティーではない。

 ・酸味が強く、とにかく渋い。薄く粗い感じがする…。


 誰もが敬遠してしまうかもしれません。おそらく。いや、間違いなく…。
しかし、逆にいえばネッビオーロの本質は至極シンプルで、強烈な酸味と歯茎にグリグリくる渋みを伴うタンニンを愛すること(克服すること)が出来れば、ワインのカタルシスを得ることが出来るといえるのであります。

 新約聖書「マタイによる福音書」第5章、「ルカによる福音書」第6章にある言葉に「汝の敵を愛せよ」という言葉があります。
これは「悪意を抱いて迫害する者に対して、慈愛をもって接せよ」という意味であり、この言葉を是とするか否かは別として、キリスト教的なこの思想をネッビオーロに転化すると3つのポイントが見えてきます。


1.悲しい現実(品種の)

 各々のワイン・リテラシーを超越し、現実を受け入れるのです。ワインには「ルールはあるが正邪の法則ない」と受け入れ、厳しくも悲しい酸味と渋みを愛さなければならないのです。本来ネッビオーロは小粒で皮が厚く、これによりできるワインはタンニンが強く酸味がしっかりとしているものなのです。そしてそれは長期熟成に向くのが前提であるのですから…。


2.しかし、努力せよ

 苦行を覚悟してネッビオーロを飲んだところで、己に克つ事は難しい。各いう私もそうであります。しかしながら、異なる価値観(ネッビオーロの古酒や他のワインと比べて飲んでみる等)に触れてみる事で、一筋の光明が見えてくる事もあります…。
 例えば、その酸味や渋みをワインの骨格と考えると…? アルコールとのバランスは?奥行きや密度は? 細やかであるか、あるいは粗いのか? 等…。


3.どうしても神の愛によらなければ

 ネッビオーロは極めて気難しいブドウ品種で、どんなに誠実に誓約をしたところで、自分自身の努力によってその要求に充分応えることは難しい時もあります。だからといって、傍観していて良いというのではないのです。キリスト教では「ますます激しく努力する」ことが「ある意味で自分を気付かせ、神に帰る道だ」と考えるそうであります。挫折しつつ、その人間を受けとってくれる神の愛があるというものだそうです。

 敵を受け入れ、愛し、努力することで見えてくるネッビオーロ。

その厳しさの中にきっとカタルシスが見えてくるはずです。さすれば、ワインを愛せる。そして各々のライフワークとは何なのかが悟れてくるのではないのでしょうか…。

違いをわかる人への道は近づきます。また一歩…。


2015年12月16日水曜日

犬にワインを飲ませたら 「ワイ~ン」と鳴いた (2)

アイスワイン・ツモり四暗刻の法則

 1794年の冬、ドイツのフランコニアの農場で、世界初のアイスワインが生まれました。その年のフランコニアは予想もしない霜に襲われ、熟したブドウがそのまま放置されたために凍ってしまい処分することになりました。貧しい農民たちは、捨てるはずのブドウで僅かなワインを造ったところ、とても甘みの強い、芳醇な香りのワインが出来上がりました。この奇跡的な偶然から生まれたのがアイスワインなのです。その後、より安定してアイスワインを製造できる土地を求めて、ドイツのワイナリーがカナダに移住し、カナダでもアイスワインの生産が始まりました。

突然ですがなんとこの私、麻雀の役とアイスワインに共通点を見つけてしまったのです!
ご愛嬌ですが、共通点に注目する事は学習する上で何よりも大事な事なのです。

 本来アイスワインというものは、厳しい条件の中よりできるものであります。
麻雀の役も条件が厳しく、難易度が高くなるにつれ点数も高くなっていくものなのです…。
では、アイスワイン(ドイツの格付けも同様)を麻雀の役に置き換えてみると…正にそれは「ツモ(自摸)り四暗刻」だといえるのです!
何故ならば、「ツモり四暗刻」は妥協できる役であり、アイスワインもある意味で妥協できる代物といえるからなのです!
 アイスワインの条件として、・零下8度が必要。これはベーレンアウスレーゼと同等の糖度(ドイツではエクスレ度、カナダではブリックス等級)が必要であります。これを麻雀の役にたとえると満貫(それなりの苦労と運が必要)以上であるといえるのです。
そして、零下10度を超えたときできるアイスワインは、糖度から品質から何から何まで最高級のアイスワインになるのです。しかしこれはとてもリスキーなことであり、失敗をすれば完全に干からびてしまうか中途半端な水っぽいアイスワインになってしまうかで、全ては台無しになってしまうのです。これは麻雀に例えると正に役満といっても過言ではないのです。

 「ツモり四暗刻」は聴牌(テンパイ)の状態でツモることができれば見事役満。妥協して和了(アガリ)した場合「三暗刻」・「対々和」で四飜、面前ですので30符がついて「切り上げ満貫」が確定な役であります。
「ツモり四暗刻」を成し遂げる為には、運もさることながら、努力と根性、忍耐力が必要なわけであり、場に和り牌が一枚づつ出てたりしたときになどは正にハラハラドキドキ!妥協という名の堕天使になる誘惑に勝てるか否か…。

アイスワインのメゾンにとってみれば、その年の天候や経済状況、諸々の事情というものがあります。零下10度を超えたときできる最高のアイスワイン、役満の「ツモり四暗刻」にするのか、「三暗刻」・「対々和」の切り上げ満貫で妥協するのかは、本人の矜持次第という所なのかもしれません。この結果がアイスワインの質の良し悪しに影響しているということはいうまでもないのです。ちなみに、妥協している生産者は多々おります。



その他のドイツワインの格付けを麻雀の役に置き換えてみました。

1. カビネット  … 「リーチ・平和(ピンフ)」で2飜。
2. シュペートレーゼ … 「リーチ・平和・タンヤオ」で3飜。
3. アウスレーゼ  … メン・タン・ピンにドラがのるってトコです。満貫(芸術的な手ならば)。
4. ベーレンアウスレーゼ  … 満貫~3倍満。数え役満もあり得る。
5. アイスヴァイン  … 満貫~3倍満。ツモれば役満ぐらいあっても良い…ですよね。
6. トロッケンベーレンアウスレーゼ … 九蓮宝燈の9面待ち、十三么九(国士無双)13面待ち。泣く子も黙るダブル役満。
0. その他ドイツワイン … 1飜。喰いタン、平和のみ等。中には良い手もある。


 「阿佐田哲也」原作の映画「麻雀放浪記」の中で、主人公「真田広之」演ずる「坊や哲」の師匠、大俳優「高品格」演ずる「出目徳」のオヤジが九蓮宝燈をツモって息を引き取り、土手沿いにある彼の家に遺体を投げ捨てられるという感動のクライマックスを覚えています…。
ドイツの「リースリング」によるトロッケンベーレンアウスレーゼとはそれくらい難しい代物であり、ダブル役満みたいに金額も高いのです。

ちなみに…、ドイツの「オルテガ」という品種は貴腐菌が付きやすく、トロッケンベーレンアウスレーゼまで容易に出来てしまうことから、麻雀でいう所の、イカサマや積み込み(『2の2』の天和、元禄、千鳥、爆弾、等)みたいなものかもしれませんね。
…麻雀知らない人、すみません。




2015年12月15日火曜日

犬にワインを飲ませたら 「ワイ~ン」と鳴いた (1)

ワインの変遷

 私は2000年にソムリエの資格を取得いたしましたが、当時はいわゆる第二次ワインブームでありました。
いわゆる「マッチョワイン」が全盛で、「ル・パン」や「オーパス・ワン」、「サッシカイア」などの重厚なワインが市場ではもてはやされていたのです。これらは従来のワインの既成概念を覆す物であり、往年のワインラバーだけでなくワイン初心者の方々でも飲みやすく、ストレートな表現ができ、受け入れやすかったのです。つまりこれらのワインは正にその時代の寵児ともいえました。確かに飲んで美味しい。香りも斬新で複雑、且つ妖艶な魅力を兼ね備えており、飲む人を虜にするに異論の余地は無かったのです。
 その時代を象徴するそれらのワインは、ディスカバリー・スピリッツ溢れるロバート・パーカーJrやミシェル・ローランなどを代表とする人物たちの貢献が大きく、古典的で複雑怪奇なワイン評論ではなく、分かりやすい100点満点方式の評論がそれらを後押したのはいうまでもありません。

そして件のワインらは、古来からの製法をさらに昇華させたオールドワールドの新境地となり、またそれはニューワールドワインの礎にもなり、新たなる台頭を意味していたのであります。
事実、ボルドーワインを例に出すと、歴代のブレンダーをクビにして元来のワインとは異なる重厚なワインにシフトチェンジしていったシャトーも多々ありました。
 ルイ=アルチュセールの言葉に「イデオロギーは暴力(権力)による強制ではなく、穏やかに秩序への自発的服従を人々の意識の中に植え付け構築し続ける」とあります。
この事実が日本におけるワイン市場に、フランスワインだけでなく世界中の色々なワインを広くご提供できるようになったと思われるのですが…。

「中二病」
 ソムリエ駆け出しでいわゆる「中二病」だった私は、フランスワインこそが王道だと信じ切っていました。
私はそれまで古典的なワインを中心に、フランス、イタリア、ドイツ、スペインの王道のワインをお客様にご紹介してきたと自負いたしておりました。勿論フランスワイン中心で。
 (社)日本ソムリエ協会元会長の浅田勝美氏は、日本人がワインのワの字も知らない時代から現地を這いずり回り、正に気合でフランス・ドイツ・イタリアのワインを伝承させた先駆者であります。その書籍のメインは当然のごとくフランスワインです。
氏の貢献に加え、(社)日本ソムリエ協会の地道な活動によりソムリエ、ワインアドバイザー等の数も着実に増えて行き、現在日本のワイン文化はもはや普遍的になったといえます。今や酒類業界の中においてワインの占める位置は30年前に比べると確実に広がっているといえるのです。しかしながら、それでもやはりメインはフランスワイン中心なのです。その延長線上で向学をしてきた私にとってはそれらの事象に違和感が無く、おそらく他のソムリエ、業界関係者もそうであろうと思われます。

 話を元に戻しますが時は流れ、時代も変遷を成し、ワインラバーの皆様のレベルも上がったと思われますが、彼らの話題はやはりフランスワイン中心。特にブルゴーニュが顕著ですが…。
ワインの試飲会に足を運んでもその中心は相変わらずフランスワイン。ワイン会もどこもがフランスワイン。どこを向いてもフランス・フランス。
そう、今更ながらではあるが、日本はフランスワイン至上主義だったのであります。

提案する力
 オールドワールド(ヨーロッパ)ワインはEUのワイン法に基き、安いワイン(その国で収穫はされたが、どの場所で収穫されたかわからないブドウを使用したワイン)であるテーブルワインと、高いワイン(原産地を記載した高級ワイン)の原産地呼称ワインの二つのカテゴリーに分類されています。ベースはフランス。その法律を各々の国(ドイツとオーストリア以外)で更に2~4つに分類して構成されているのです。
 それらの中でも、特にフランスワインはベースにもなっていることからか、比較的理解しやすいと思われます。ワインの質・量も安定しており、長い歴史とそのたゆまない努力のおかげで信頼して売買できるからなのであります。

ここで、私はフランスワインにはあくまで畏敬の念を抱いていることを念頭に置いてください。

 しかしながら、我々業界関係者に今後必要不可欠なものは「提案力」だと思われます。より客観的な立場からのご提案。これが業界の構造をより強固にすると思われるからです。
 わかりやすくいえば、色々な選択肢をお客様にご提案することで、お互いがWin-Winの関係を構築でき、ワインがより普遍的なものに昇華をして商いの幅もより広がるということであります。

 すなわち何がいいたいかというと、フランスワインばっかり使っていないで他の国のワインも使えということであり、それらの知識を深めるために努力を惜しむな!といいたいのであります。それが業界の更なる発展に繋がるといえるのだから…。

私の独断と偏見でございます。あしからず…。